カラーコーディネーターになろう(根元 美奈,森内 理子)

今日読んだ本は『カラーコーディネーターになろう(根元 美奈,森内 理子)』

カラーコーディネーターは「理論」と「感性」が問われるという。科学であると同時に芸術でもある、という感じだろうか。
だが、考えてみれば、カラーに限らず、世の中のほとんどは「理論」と「感性」によるのではないだろうか。

私であれば、数学であれ、物理であれ、頭の中で「視えない」ものは正直扱えない。

同じように、知識だけがあってもそれを使うことができない、という場合は、理論(理性)の面では理解していても、感性がついていっていないのではなかろうか。


また個人個人に最適な色「パーソナルカラー」というものがあるらしい。

一度プロに見てもらって、自分のパーソナルカラーを知りたいものだ。




カラーコーディネーターになろう


Book

カラーコーディネーターになろう


著者:根元 美奈,森内 理子

販売元:インデックスコミュニケーションズ

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哲学とは何か

今日読んだ本は『哲学とは何か』
2000年発売の新書だったのだが、筆者を忘れてしまった上、アマゾンでも見つからないので詳細は略す。

哲学者と思われる筆者が、日本の哲学ブーム(当時)を皮肉りながら、哲学というものを明らかにしている書。


私が感じた限りでは、
 哲学とは、分からないものを、分かろうとする営み
である。

哲学の根本は「真理の探究」であろうが、もう少し具体的なテーマをいくつかあげるとするならば
・「私」とは何か
・生とは何か
・死とは何か
・時間とは何か
・存在とは何か
...etc
といった感じであろう。

いずれも”普通の人”ならば、「そんなこと考えたって分かるもんじゃない」とサジを投げるような問題ばかりである。

しかし哲学者という人種は、その「分からない」ことを分からないままで是(ぜ)としない。
分からないことをそのまま放ってはおかないのである。

ぶっちゃけた話、哲学に正解は無い。ただ「妥当」なものがあるだけである。それは対象とする問題がいずれも人知を超えた部類に属するものであるからだろう。
それでもなお、哲学という学問が決して軽んじられることなく今日まで続いたのは、これら諸問題が決して「野放しにして良い」問題ではないからではないだろうか。

「私」とは何か、生とは何か、死とは何か、といった問題は、人間存在そのものにかかわる重大事である。
たとえ「考えても」分からない問題であるにしても、「考えないでもよい」問題でないことは明白であろう。

それがたとえ己の無力さを実感する結果につながったとしても、真剣に私と生と死を見つめることは、人生を真剣に見つめることと同義なのではないだろうか。
時間と空間(存在)について語ることは、私というちっぽけな存在と、宇宙という無限とをつなぐ架け橋とはならないのだろうか。

哲学は、一見すると「生きるため」には何の役にも立たないかもしれない。
しかし愚考するに、哲学は「生きるため」のものではなく、「生きるとはどういうことか」それ自体を探求する学問であり、まったく趣旨を異にする部類のものであり、それを世間的なレベルで考えること自体が無意味と言わざるを得ない。

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鈍感力

今日読んだ本は『鈍感力』

医師が、「人間は少し鈍感なくらいが健康的に生きられる」ということを書いた本。

こういう世間の風に対立するような本が最近は多い気がするが、これくらい過激なことを書かないと売れないのだろうか。

内容としては、「うん、そうだよね」という感じ。敏感すぎてもダメ、多少は鈍感な方が良い。特にストレス社会とも言われるこの世の中、敏感で繊細な人間はもろすぎて壊れてしまうのだろう。

中身はエッセイ風で軽くて読みやすい。



Book

鈍感力


著者:渡辺 淳一

販売元:集英社

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